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7/28)伏見の古民家で地酒飲み会

28日(土)に、京都市伏見の古民家再生カフェで飲み会やります。

~ひみつ基地酒場・伏見の地酒と共に~

学生団体moc の学生達が、コミュニティーカフェ「秘密基地」として使うべく、古民家の改築を進めています。大工さんの指導を受けつつ、出来る範囲からコツコツと作業しています。(「秘密基地」とは老若男女かかわりなくヒミツを吐き出せるような場を形成し、人々の自己実現を支えようとの意図だそうです。)

そのプレ企画として、飲み会を行います。

ケイゾクエナジーとしても支援しており、いただいた参加費の一部を彼らの活動費に充てたく思います。
普通に地酒を楽しみに来られるも良し、ただお話に来られるも良し、伏見という京都大阪奈良の中間点にある好立地を豊臣秀吉公のように楽しむ良し、坂本龍馬の頃をしのばれるも良し・・・(観光案内になってきた・汗)色々お待ちしております!

イベント概要==

場所◆京都府京都市伏見区阿波橋町439
古民家(元電器店)の建物です。最寄り駅からは、京阪中書島駅から徒歩10分、近鉄桃山御陵前駅から徒歩15分、JR桃山駅から徒歩20分程度です。

開催時間◆
0次会:15時~
1次会:17時半~20時(上記の参加費が必要)
※0次会はお酒を飲まずに喋ることを目的とした時間帯です。

参加費◆社会人3500円、学生2000円
持ち込み割 500円引き

※参加費は、お弁当【あの”鳥せい”です】+おつまみ・ソフトドリンク等+お酒 2杯【神聖・たれ口をご用意してます】までを含む金額です。お酒 3杯目からは追加(一杯500円以内にします)でいただきます。
※持ち込み割は、分けられる飲み物又は食べ物に限ります。

お申込み◆facebookイベントページで参加予定としていただくか、近藤宛にメッセージをお願いします。

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格差で絶望せず、今を生きる。

入学(留学)、就職(転勤)、結婚などなど、旅行や訪問目的ではなく違う土地や組織に移った時の絶望は、何に憧れるか、こだわるかによって変わるでしょう。
現代ビジネスの記事・「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由では、文化や教養に触れる度合いの地域格差について触れられていますが、大自然と向き合う度合いの地域格差もありますし、その地域が文化成熟期や経済成長期にあるかどうかの度合いだってあります。
例えば、今の日本だと、経済については憧れられないですが、文化については憧れの対象といえる。これは地方と東京・京都の構図についても同じかと思います。またシンガポールやニューヨークあるいはドバイあたりの出身者のなかにも、ブラジルやインドネシアの熱帯雨林に憧れている人はいるでしょうから、絶望の対象?はもっと多様なはずです。

生きていく環境を移すなら、土地や時代背景によって違うことが多々あると覚悟しておき、一つ一つ出来ることから順応していけば良い。というより、今ある環境を肯定できない人は、違う場所に行けば行くほど、どうやっても絶望するんやと思います。

「ここでは劣っているが、ここは優れている」とバランスよく捉える想像力は、現状肯定の補助かもしれません。凡人は未来に憧れ、秀才は過去の再現を重んじ、天才は今を生きる。どの考え方も必要ですが、天才のもととなる自尊心、今ある姿をまず受け止める心掛けこそ、私は重要と考えます。
IMALUさんの名前の由来は、父・明石家さんま師匠は「きてるだけで、まる儲け」とする一方、母・大竹しのぶさんは「いまを生き」といいます。音楽から汚れ芸人相手まで、彼女の肯定的な捉え方には納得するものがありますが、まさにお母さんの願いが影響したものでしょう。

良い記事ですが、ある側面だけ切りとって「お前の出身地は大したことない」的な流れにならないことを、祈るばかりです。

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「若者おじさん」について

若者おじさんが増えたとの表現を目にする。広い意味ではこの私も含まれるだろう。狭い意味では、いつまで経っても若いころのままで、筋トレとかオールで飲んだとかいかにも20代までのリア充感を、インスタなどにさらしている人のことを指すらしい。
若者おじさんには、別の定義も考えられる。苦手なことを諦められない人だ。
等身大の自分をわかっていて腰を低くでき、時に協力し合えるのが「大人」だと、私は解釈している。腰が低いだけでなく自己主張も大切だが、その後始末が出来るのもまた「大人」である。

もっと昔から、若者おじさんはいただろう。
だが、福祉制度や毎月給料が出るような働き方が珍しかった当時、本当に特徴のある人だけが生き残っていたように思う。すぐキレたり子どもっぽくて扱いにくいオッサンでも、アートとか技術など何か一芸に秀でていれば、周囲から認められた。

が、戦争に敗れた日本が(ほぼ自主的に)アメリカの傘に入り、経済成長を優先的に推し進めた結果、若者おじさんが生きられる枠が広がった。1950年代から1980年代にかけて、安い賃金と高い工業技術というアンバランスを生かし、とにかく海外に製品が売りまくれた時代。一芸に秀でていなくても、働き手が必要だった。
それで終身雇用と福祉を売りにした人材採用が一般化して、多分に面倒な子どもっぽさを持つ人でも会社に囲われるようになった。一向に大人にならなくとも、簡単に解雇できないから、生き残ってしまう。つまり30代で正社員身分を捨てた私は、囲われる気楽さを自ら捨てたバカだといえる。

大変失礼な話だが、今の若い人が目にする鬱陶しい大人≒若者おじさんは、先に挙げたような20世紀後半ならではの社会背景で生き延びた人もいるだろう。100年以上前なら、その多くがとっくに野垂れ死んでいる。私もそうかもしれない。

だからこそ、感謝せねばならない。
今、若者おじさんに当てはまる人は、大小の差こそあれ生きられる環境があることを。
若い人は、「人のふりみて、我がふり直せ」を、多くの若者おじさんから得られる時代背景に。

まさに私は、若者おじさんと思われる方々を反面教師にしてきた。
理不尽を押し付けられたり、暴言を吐かれたことも数々ある。最初は、むかつく。しばらくして「あのような目にあわないためには」を考えるようになり、落ち着いてくると「自分が、あのような人にならないためには」を想うようになる。
その繰り返しを経て、ここ一年のうちに「あのような人と、有効な場面でのみ関わるためには」を、未然に考えるようになった。やっとのことである。

平成生まれ以降の若い人からは、若者おじさんがずいぶんと減るだろう。
ゆとり教育その他の影響もあり、若さ限りの憧れに縛られず、等身大に生きられる人が増えているからだ。確かに、私の世代(1970年代生まれ)より上にみられる、下積みの苦労とか、上司や客の理不尽に堪える訓練は不足しているかもしれない。だが幸いにして、正規雇用のように「一回権利をつかめば、あとはレールの上で生きられる」制度がどんどん衰えてくれるお陰で、若い人ほど、いやでも自分ゴトで考える機会に恵まれている。全部人任せには、流れづらくなっている。

このように近藤個人的には、もっと面白い世の中になっていくと考えているから、色々仕掛けていく。

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1/25「ケイゾクトーク#01 新しい社会の生き方」を開催

対話のルール「ケイゾクトーク」、公開開催の第一回をさせていただきます。話し手、聞き手、離れ手など、あらかじめ役回りを決めることで、話の流れをなめらかにしようという仕組みです。
話し手は、野津岳史さんです。野津さんは、リクナビや大学の機能などを使わない独自の就活で、学生時代の活動で縁があった団体「WorldSeed」に就職。現在に至るまで地域活性化や環境活動に従事されています。その経験を踏まえ、働き方や住まいなど別の視点での生き方についてお話しいただき、対話のテーマを提起いただきます。

日時◆◆
2018年 1月25日(木)19:00~21:00
※遅れてのお越し、早めのご退出も歓迎ですが、
話題への理解は各自でお願いいたします。

場所◆◆
エコネット近畿様事務所 会議室(お持ち込み飲食も可)
(最寄り・南森町駅、大阪天満宮駅)
http://www.econetkinki.org/page0108.html

参加費◆◆
500円(25歳未満 300円)
茶菓代等です。

定員◆◆
主催者を除き、全体で12名
ただし、40歳以上の方につきましては、話し手の年齢を考慮して、一定の人数枠を設けます。当初は2名までとし、参加人数によって最大4名まで増員の予定です。

お申込み◆◆
参加ご希望の方は、facebookイベントページで参加予定としていただくか、お問い合わせページから、種類”1/25イベント参加”にチェックを入れてご送信ください。メッセージや題名は空欄でも構いません。
当日参加も可能(23日15時現在)ですが、ご来場多数の場合は、あらかじめ参加表明をいただいている方のご着席を優先いたします。

対話のルール「ケイゾクトーク」の主旨や詳細について◆◆
以下ページからご覧ください。

keizoku-talk


表紙画像をクリックすると、PDFファイルが開きます。
事前にお読みいただくかどうかはご判断にお任せしますが、当会は「ケイゾクトーク」によって、対話の場が運営されますこと、予めご理解くださいますようお願い申し上げます。

クレジット◆◆
主催:ケイゾクエナジー(近藤大介)

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函館に、原発に伴う廃棄物の件で出張

少し前にも告知させていただいたものの、避けたくなる話題であることには変わりありません。が、避けて通れない話題です。国や電力会社に任せきる覚悟のある方は、特に知らなくてもいいでしょうし、私も無理に説明はしません。というわけで、ざっくり説明します。

前提として、私は、高レベル放射性廃棄物の地層処分についての地域リーダー意見交換会のメンバーに名を連ねております。経済産業省資源エネルギー庁によって年に2回ほど開催され、各地の活動家や企業人が招集されます。直近の回が、去る11月18日に函館にて行われたため、この記事を書かせていただくものです。

概要・地層処分と直接処分について◆◆

ここでいう高レベル放射性廃棄物とは、原子力発電で使用された燃料から、発電に再利用が可能なウランやプルトニウムを取り出す、再処理の過程で生じる廃液などだと思ってください。この廃液などを、40年ほど貯蔵施設(日本国内で青森県六ケ所村に存在、周囲は風力発電銀座でもある)にて熱を冷まします。そのうえで、ガラスで固めて物質を安定させ、さらに金属製のパックに閉じ、地表から300m以上の地下に埋めるのが、地層処分です。
あれ、再処理を続けるの、まだまだ原発を続ける前提だろう・・・
とお察しの方もいると思いますが、これが難しい。仮に廃炉ラッシュをかけたうえで、そのまま使用済み燃料を廃液などと同じように地中深く処分する(これを日本では「直接処分」と言い分けています)場合、すぐ核兵器に転用できる物質をため込むことと同義になってしまいます。

まとめると、
地層処分のみだと、再処理が前提で全面廃炉から遠ざかる
燃料の直接処分だと、核兵器製造の可能性を残す
という、何とも二律背反な話です。
※このロジックは、タブーとされている議論に触れるので、公には取り上げられませんが、この近藤は純粋に私人ですので、言ってしまいます。

温暖化かつ戦争の原因となる石油にも、大きすぎると自然破壊の要因になる水力にも、依存しないつもりで手をだした原子力。エネルギー源のない島国が、爆弾の惨禍を味わった我が国が、なんとか欧米とやり合うべく工業化してきた宿命というほかありません・・・

政府・電力会社関係の動き(兼リンク集)◆◆

以上のこともあり、日本政府(資源エネルギー庁)および、9電力会社など原発を行う事業者による拠出金で運営されるNUMO(原子力発電環境整備機構)では、地層処分を進めています。(もちろん直接処分も、日本原子力研究開発機構などで研究されています)地層処分の専門機関であるNUMOの始動は意外と遅く、2000年に成立した「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」に基づき、同年10月に設立されています。
それが今年の6月になって、処分地の選定を前にして、地層や地下資源、断層などの色付けをした「科学的特性マップ」を公表しました。資源エネルギー庁・NUMOはこのマップを説明すべく、私が参加している地域リーダー意見交換会とは別途に、福島県を除くすべての都道府県で、一般向けの意見交換会を開いています。(10月26日の投稿でも紹介した催しです。11/22時点で半分ほどの地域で未開催で、申し込みも間に合うようです。)

今秋開催の意見交換会における学生動員問題◆◆

ところが、開催済みの一般向け意見交換会で、金品や便益との引き換えで参加していた学生の存在が発覚しました。
報道された内容ですので、両機関の責任者より得られた情報から、私なりに説明させていただきます。

事件が発覚した11/6の埼玉会場まで、計10回の意見交換会が開催されました。うち、NUMOから委託を受けた(株)地域力活性化研究室から、さらに再委託を受けた(株)オーシャナイズによる学生の動員がみられたのは、東京、愛知、大阪、兵庫、埼玉の5か所。兵庫までの4か所は委託業者が学生団体などに対して行っている便益(事務経費の負担や協賛など)との引き換えによるもので、謝礼や物品の供与まで学生が示唆されたのは埼玉会場のみだったとの説明です。
ちなみに、私が二人の学生を誘った奈良会場(11/1)は、一次委託先や再委託先による動員はなかったとの説明でした。確かに、報道陣を含め66名とされる参加者のうち、この近藤は下から数えて10番以内であろうという高齢化ぶりでしたので、委託業者が勝手に焦ったとしても、仕方がないと言えば仕方がありません。

仕方がないで済まされないのは「金品と引き換え」での動員です。
民間企業であれば、商品モニターとして何らかの謝礼を渡すことはありますが、この会は、地域政治にも絡むテーマについて、政府が「自発的な」意見を聴取するものです。金品で意見を「誘導」した疑問が残ってしまっては、今後の展開に対する信用が損なわれたとしても、まさに仕方がないでしょう。

18日に函館で行われた地域リーダー会では、当初の予定を変更の上、この件について大きく時間が割かれました。各参加者からは、様々な非難や批判が噴出しました。

私・近藤から、資源エネルギー庁およびNUMOの担当者に述べた意見は、以下の通りです。
・晩も開催すればいい。平日昼間にしかやらないから、委託業者が集客に追い込まれる。
(参加者数を追い求めるからいけないとの意見の後で)
・学生だけが若者ではない。平成生まれの社会人などにも目を向けてはどうか。

両担当者からは、すでに反省点を挙げられましたので、(最もうるさいとされるらしい)私からは、非難よりも事後策を挙げるようにしています。いずれの内容にもご納得いただいた反応でした。それでも行政の慣習上、いったん決まった開始時間を繰り下げることは難しいかと思われ、今年中の会での実施はあまり期待できません。(というより、期待しないようにしています。)

私自身は、世耕弘成経済産業大臣のように、この件に委託業者を使うなとまではいいません。開催時刻を見直したうえで運営・広報等の委託にとどめ、それでも参加者が来ないなら「国民が悪い面もある」と割り切る姿勢も、時にはありでしょう。
もちろん、一時的にでも委託業者を使わないことで、広告代理店など民間ならではの行き過ぎたプレイを見直すきっかけにはなります。一次委託業者である地域力活性化研究室は電通からの受注も多いとされ、NUMO自身からも電通・博報堂への発注がみられますから、『民間への告知は、民間の営利企業でないと』的な諦めもあったのでしょう。
せっかく、地域リーダー向けの意見交換会があるのですから、私を含め活用いただければと思います(勝手に動いていますが)。もしかすると、NTT出身でもある世耕大臣は、ITなどによる個々のコミュニケーションの広がりも見据えて、委託は使うな発言をされたのかもしれません。

さらに私見ながら、学生への交通費支給はあって良いと考えます。この20年間前に比べ物価上昇が1%以内で収まっている状況で、大学学費だけは国公立私学ともに15%ほど上昇しています。いくら年間十数万円程度の違いとは言え、原発の恩恵にあずかっただけである私より上の世代との格差を埋めるためにも、必要な措置かと思います。
もちろん予算に限りはありますので、始めから交通費のみ支給をうたい、定員を設けたうえで学生だけの意見交換会を設置していれば、もっと穏健な形で学生を集められたでしょう。(実は「学生だけ」だから集まりやすかろうというのもポイントですが、この点は別でお話ししたく思います)

なお、地域リーダー会については招集される立場になりますので、この私も、交通費支給と宿泊手配を受けております。だからこそ少しでも税金の有効活用に寄与すべく、この記事を書いている次第です。先ほど純粋な私人とはいいましたが、経費とはいえ公費をいただいた時点で、公人としての性質が発生します。

以上を受けて、ケイゾクエナジーと私人・近藤の動き◆◆

この話題を直接扱う会をしばらく行っておりませんでしたが、かえってやってみようかと思います。→2018年2月11日、大阪でやります。
私自身も自由に意見を述べやすくするためにも、事務経費や教材作成を補助する仕組みは使わないでおきます。政府・電力会社系からのサポートは、既存教材の無償提供や専門家の派遣にとどめるような形で考えております。ご興味や場所のご提供などご協力のお申し出などあれば、心強いです。

引き続き、ケイゾクエナジーをよろしくお願い申し上げます。

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若者の無礼をすぐに責められなくなった

私が、知らないうちに無礼を働いたことは数知れずだろう。若いころなら、なおさら。かといって、今から抗議が来ても、当事者意識を思い出せず反省気分にはなりづらいから、実に心苦しい。

そもそも無礼とは、やり取りする者同士の主観がずれただけでしかない。
・・・と、やっとこの歳でわかってきたから、無礼を働いてきた相手を責めるのが難しくなってしまった。

常にタメ口の間柄なら丁寧語も何もいらない。「こんなもんだろう」が、お互いにわかっているからだ。私の両親なども、そうだ。
逆に緊張した間柄ならおのずから敬語か、年長者であっても話口調がゆっくりになったりする。この私とて、20歳も離れた若者であろうが、文章上はですます調を使い続ける。ですます調でなくなってもいいだろうと思ったら、抗議されたこともあるぐらいで、そこで争ってもしかたがない。

それで、ある学生に『メールよりLINEのほうが楽です』と言われたのは、非常に納得してしまった。メールは手紙文化の部分が残っているから、宛書や出だしの「いつもお世話に~」の文ぐらいは要るとされている。一方でLINEは、前段の挨拶など要らない。ですます調ぐらいは守っていればいい。

様々な世代の方と関わっていると、成熟と無礼はあまり関係がないようにも思う。

人前で、些細な言動について叱咤する中高年。
本当に相手を正したいなら、恥をかかせないように裏で伝えてやって、本人の気持ちにしみいるようにした方がいいだろう。あるいは、本人に悪意がなかったことを認めたうえで、「思ってもみない悪影響が出る可能性」を知らせるのもいい。まさに、知らないうちの無礼を少しでも減らすのは、年長者の役目だろう。

話の頭から、興味ないです~と発する若者。
興味関心があるふりを続けてから断るよりは潔い。が、「私に話さなくてもいいよ~」の態度を早々にとってしまっては、次のチャンスがもらえなくなるだろう。もらえなくなる覚悟があるならいいが、私がそういう態度を取られた場合、当面こちらから話すのを控えてしまう。話すことすら無礼扱いされるのでは、やむを得ない。責めはしないが、与えることも止める。経験不足の面もあるだろうから、ほぼ放置に近い形で待つしかないというのもある。

以上のことは、先天的に無礼を働きやすい脳の働きを持った人もいるから、一概には言えない。
ただし、全てを先天的特徴の責任にしてしまう人とは一緒にやりづらい。前段と同じように、責めはしないが、与えることを止めるよりない。

ある一定以上の『無礼』を感じてしまったら、己の正義を振りかざしても、悪い意味での世界の警察・アメリカ合衆国のような立場になってしまうようで、気分がわるくなるのだ。
いったん主観の防衛に熱を上げた相手に反駁しても、さらにヒートアップするのは目に見えている。たとえ心の中で「あいつ○○してやる」と思っていても、責めるよりはじっと黙っているほうが清々しい。好きの反対は無関心、嫌いの反対も無関心とは、良くいったものだ。

幸いにして私は、この2年ほどで様々な無礼を与えてもらって、成長できた。同じ無礼を二度と体験したくはないが、経験は生き続ける。相手の多くに悪意はない。故意ですらない。むしろ故意であったほうが責められるから、かえって楽だ。

当ケイゾクエナジーでは、無礼を超えるべく様々な企画をやってきた面があるが、ようやく壁にぶつかって、この近藤も気づくところが多かった。

無礼が主観の違いによる葛藤でしかないなら、『あなたの主観に合わせます』『(責任持って)こちらの主観を現します』とか『主観は出し合うにしても、押しつけは無しに』と、あらかじめ断っておけばよい。お互い、先に諦めておけば、くだらぬ争いは起きない。

いわゆる日本人的?に曖昧にした会では、数々の方に迷惑をかけてしまいました。
あらためてお詫びさせていただくとともに、今後の催し等にご期待をいただければ幸いです。

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若者による自民支持増は当然?

他の世代に比べ、20代までの投票率が低いことと、投票しても自民党への支持が高いと聞きました。私は、むしろ自然なことかと思います。

若い方ほど、「産業革命以来の経済成長を継続を前提とした社会システム」の恩恵を受けたことがないでしょう。
これらのシステムは、先進国ほど終わりつつあります。例えば、正規(終身)雇用制度や生活保護・年金・国民皆保険など『政府や大企業による富の分配』は、立ち行かなくなってきたシステムの代表例。さらに、グローバルでもローカルでもない半端な『国民国家』思考や、代議制(democracy)の誤訳といえる『民主主義』もだってそうです。地元選出の議員への陳情より、”日本死ね”のようにネット経由のほうが意見が通ったりします。国内だけでなく、海外にも。
皮肉にも、システムの継続をうたっているのがどちらかといえば野党であり、たとえ極論や愚策であっても「現状打破」をうたっているのが自民党や維新の会などのように思われます。

ハッキリ言えば、自民が革新で、社民や共産が保守という逆転構造になった。
立憲民主がうけているのは、枝野代表への信頼感だけでなく、大臣など政権運営の経験がある人々が改革側かつ革新系を名乗っているという、構図のわかりやすさもあるでしょう。こうなれば、長年理想論を押し通してきた共産の支持が食われるもの当然かと。

シェアに個人間取引、法人格なきビジネスなどなど、政府や企業の仕組みを介さない動きがもっとあっていい。過去の思い出、いや成功体験にとりつかれた幻想で、終わりつつあるシステムを押し付けるのはやめましょう。違和感を持つ若者は、反論しなくとも穏健に無視し続けることでしょう。

変わらなければいけないのは、私を含めた昭和以前生まれの年長者です。
ご賛同あるいは疑問をお持ちの方は、10月21日14時からの『儲からなくともエコなビジネスを考える会#2』にお越しいただければ、なお幸いです。

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Education≠教育

教育は、Educationの誤訳という。福沢諭吉は”発育”としたかったらしいが、もともと漢籍か何かにあった「教育」のほうが広まってしまった。勝手に育つのを支援すればいいのを勘違いして、西洋に追いつくためには「教えろ」となってしまったのが、近代日本の不幸だという学者もいる。
この百年の方向性を反省したのか、最近の文部科学省は、アクティブ・ラーニングと称して自ら学んでいく趣向を重視した教育指導要領を定めている。近藤個人としては、「何を今さら」との思いが強い。

とはいえ、私は恵まれていた。
職人の父には『本は読んでも損はせん』と、高度成長期の独身時代にひと儲けした以来集めている蔵書を提供され、読むか読まないかは自由とされた。母には「ウチはウチ、ヨソ(他所)はヨソ」としつつ、事務仕事の段取りなどサラリーマン的手ほどきというのか、見せつけを何度も受けていた。持ち帰りの残業も手伝わされた。
つまり、教えられずに育てられた。常がそんな感じだから、両親ともが、学校の成績など私を評価する基準から外しきっている。さすがに、某私立大学(いちおう世界の大学ランキングには出る程度の)に現役で入学した際は、母は大喜びしたものだが、戦略的に受験勉強できた礎は当の母にあったのだ。高校の内申点を無視して、センター試験を無視して、やる範囲を絞り込み、一日の勉強時間も2時間以内に制限できたからだ。セオリー以外の考えを持てたのは、まさに「ウチはウチ」思考のお陰である。

一方、多くの同世代たちは『大学に入って大企業なり官庁へ』の筋を基本に教え込まれていた。まだバブル崩壊も迎えていなかったあの頃の日本は、レールに乗る人生が間違いないと信じている人は圧倒的多数を占めていた。
いまの小学生は、いやわかる範囲で大学生あたりではどうだろう。やはり圧倒的ではなくとも大多数が『大学に入って・・・』を過信している気がする。もちろん、2~30年前に比べて、大卒未満の就職口が狭くなっている感は否めない。が、いっぽうで大学生が余っている(18歳人口が年々減っているのに大学生が増え続ける矛盾)事実もあるわけで、逆張りをする若者がもっといてもいいように思う。

正直にいうと私は、コンプレックスを持たない意味でも大学まで行かせてもらった。実に大したことがない人間である。恵まれているのに、いまだに家庭を持たない。クズ丸出しである。だからこそ、卒業後こそ知見を養う努力は続けているし、現役の学生たちと学力テストなり何なりで対抗する自信がある。結局のところ、今も私は勝手に育っている。そして教えられるのがいまだに苦手である。

若い世代の方に(いや年長者にも)、つい喋り過ぎてしまうことがある私だが、常に心掛けているのは「内容忘れてもらって良えで」のポジションだ。ほとんどの場合、相手が出すネタに関連する話をしている(古い付き合いの後輩からは「話題泥棒」と言われ続けている)のだが、それでもサッパリ忘れてもらっていい。

もし将来、子を持つなら、勝手に育つ環境をしっかり整備して、子の需要があれば教えるような立場でありたい。
「教育」には限界が付きまとう。自発に勝るものはない。

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大学では教えてくれない「ここだけの話」を聞ける場として

大学や高校では教えづらい事を学生たちに伝えることもまた、ケイゾクエナジーの使命です。

高校教員の方々に様々な制約があることは想像がつきやすいですが、一見自由にみえる大学教員の方々も違った形での制約があります。准教授よりも上の方になると、専攻分野の研究、学生への教育、そして大学運営と、大きく分けても2~3つほどの役目を兼ねねばなりません。専門化と忙しさの両方で、扱える知識の範囲は自然と絞られます。
また、ここ15年ほどはネットの発達などにより、多少の発言でも問題視されやすくなりました。ただでさえ少子化で学生数減を恐れる立場としては、表現方法にも縛りが入ってしまいます。文部科学省などによる目も厳しい。友人知人の大学教員の話と、近藤による想像の範囲だけでも、なかなか大変な職業だと、私・近藤は常に脱帽の思いです。
以上のような状況があるから、様々な体験の場を学生に!といわれても、大学教員が専攻外のことまで用意するのは難しいでしょう。確かに、産官学民の連携と言われる中で最も頭が固いのが大学教員とはよく聞きますが、立場じたいが固められてしまっている以上、全てのことを要求するのは酷かと思います。

いっぽうで、当ケイゾクエナジーは、制約がありません。文部科学省から認可を受けるわけでもなく、議決権をかざして圧力をかけてくる株主もいません。私立大学以上に純粋な民間の立場なので、「ここだけの話」はいくらでも出せます。
特に、就活などに直結する業界ウラ話や、社会人各位の苦労談の集積には自信があります。私・近藤が、自信の経験や東京時代から見聞している話(さすがに個人名は伏せながら)を交えて伝えることもできれば、知人友人の社会人自身を引っ張り出すことも可能です。

学生向けで抜粋してみると、関西に戻ってきてからだけでもこんなことをやってきました。

などなど。近藤個人の得意分野としては環境・エネルギー、IT分野、NPO活動が軸ですが、社会の仕組み全般の話も扱いますし、別の分野であっても各業界のプロを呼べます。特に下の二つは、プレゼン資料を整えており、要望があればいつでも展開が可能です。
いずれも、『そういえば、学生時代に得られんかったんな』と思い返した知識や経験談であり、最後のエネルギーの歴史に関しては現役の学生から勧められて開催したものです。

というわけで、学生のみなさん。大学生活や企業インターン以外で社会知識を得る場といえば、「ケイゾクエナジー」と覚えてやってください。日本一かどうかはわかりませんが、関西で5番目以内には使えると思います。たぶん。

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