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格差で絶望せず、今を生きる。

入学(留学)、就職(転勤)、結婚などなど、旅行や訪問目的ではなく違う土地や組織に移った時の絶望は、何に憧れるか、こだわるかによって変わるでしょう。
現代ビジネスの記事・「底辺校」出身の田舎者が、東大に入って絶望した理由では、文化や教養に触れる度合いの地域格差について触れられていますが、大自然と向き合う度合いの地域格差もありますし、その地域が文化成熟期や経済成長期にあるかどうかの度合いだってあります。
例えば、今の日本だと、経済については憧れられないですが、文化については憧れの対象といえる。これは地方と東京・京都の構図についても同じかと思います。またシンガポールやニューヨークあるいはドバイあたりの出身者のなかにも、ブラジルやインドネシアの熱帯雨林に憧れている人はいるでしょうから、絶望の対象?はもっと多様なはずです。

生きていく環境を移すなら、土地や時代背景によって違うことが多々あると覚悟しておき、一つ一つ出来ることから順応していけば良い。というより、今ある環境を肯定できない人は、違う場所に行けば行くほど、どうやっても絶望するんやと思います。

「ここでは劣っているが、ここは優れている」とバランスよく捉える想像力は、現状肯定の補助かもしれません。凡人は未来に憧れ、秀才は過去の再現を重んじ、天才は今を生きる。どの考え方も必要ですが、天才のもととなる自尊心、今ある姿をまず受け止める心掛けこそ、私は重要と考えます。
IMALUさんの名前の由来は、父・明石家さんま師匠は「きてるだけで、まる儲け」とする一方、母・大竹しのぶさんは「いまを生き」といいます。音楽から汚れ芸人相手まで、彼女の肯定的な捉え方には納得するものがありますが、まさにお母さんの願いが影響したものでしょう。

良い記事ですが、ある側面だけ切りとって「お前の出身地は大したことない」的な流れにならないことを、祈るばかりです。

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「若者おじさん」について

若者おじさんが増えたとの表現を目にする。広い意味ではこの私も含まれるだろう。狭い意味では、いつまで経っても若いころのままで、筋トレとかオールで飲んだとかいかにも20代までのリア充感を、インスタなどにさらしている人のことを指すらしい。
若者おじさんには、別の定義も考えられる。苦手なことを諦められない人だ。
等身大の自分をわかっていて腰を低くでき、時に協力し合えるのが「大人」だと、私は解釈している。腰が低いだけでなく自己主張も大切だが、その後始末が出来るのもまた「大人」である。

もっと昔から、若者おじさんはいただろう。
だが、福祉制度や毎月給料が出るような働き方が珍しかった当時、本当に特徴のある人だけが生き残っていたように思う。すぐキレたり子どもっぽくて扱いにくいオッサンでも、アートとか技術など何か一芸に秀でていれば、周囲から認められた。

が、戦争に敗れた日本が(ほぼ自主的に)アメリカの傘に入り、経済成長を優先的に推し進めた結果、若者おじさんが生きられる枠が広がった。1950年代から1980年代にかけて、安い賃金と高い工業技術というアンバランスを生かし、とにかく海外に製品が売りまくれた時代。一芸に秀でていなくても、働き手が必要だった。
それで終身雇用と福祉を売りにした人材採用が一般化して、多分に面倒な子どもっぽさを持つ人でも会社に囲われるようになった。一向に大人にならなくとも、簡単に解雇できないから、生き残ってしまう。つまり30代で正社員身分を捨てた私は、囲われる気楽さを自ら捨てたバカだといえる。

大変失礼な話だが、今の若い人が目にする鬱陶しい大人≒若者おじさんは、先に挙げたような20世紀後半ならではの社会背景で生き延びた人もいるだろう。100年以上前なら、その多くがとっくに野垂れ死んでいる。私もそうかもしれない。

だからこそ、感謝せねばならない。
今、若者おじさんに当てはまる人は、大小の差こそあれ生きられる環境があることを。
若い人は、「人のふりみて、我がふり直せ」を、多くの若者おじさんから得られる時代背景に。

まさに私は、若者おじさんと思われる方々を反面教師にしてきた。
理不尽を押し付けられたり、暴言を吐かれたことも数々ある。最初は、むかつく。しばらくして「あのような目にあわないためには」を考えるようになり、落ち着いてくると「自分が、あのような人にならないためには」を想うようになる。
その繰り返しを経て、ここ一年のうちに「あのような人と、有効な場面でのみ関わるためには」を、未然に考えるようになった。やっとのことである。

平成生まれ以降の若い人からは、若者おじさんがずいぶんと減るだろう。
ゆとり教育その他の影響もあり、若さ限りの憧れに縛られず、等身大に生きられる人が増えているからだ。確かに、私の世代(1970年代生まれ)より上にみられる、下積みの苦労とか、上司や客の理不尽に堪える訓練は不足しているかもしれない。だが幸いにして、正規雇用のように「一回権利をつかめば、あとはレールの上で生きられる」制度がどんどん衰えてくれるお陰で、若い人ほど、いやでも自分ゴトで考える機会に恵まれている。全部人任せには、流れづらくなっている。

このように近藤個人的には、もっと面白い世の中になっていくと考えているから、色々仕掛けていく。

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責任と恩恵のバランスこそ、正規雇用ライフ。

『日本人はとにかく組織に架空の責任を負わせたがり、個人の責任を宙に浮かせたがる。トラブルが起きたときはみんなで「どうしよう」と言い合うが、誰ひとりとして問題を解決しようと勇敢に立ち上がることも、みんなで団結して問題に蹴りをつけようとすることもない。』
中国人の質問サイトでの、「日本のダメなところ」との質問に対するベストアンサーの一節だ。→参照元

楽でいたり責任を回避するのもいいことだけど、同時にリスクを負っている覚悟も必須だ。
私は、日本が衰えているとされる大きな理由の一つが、正規雇用制度が普及し過ぎたことだと考えている。自覚無きサラリーマンが増えすぎた。

そもそも正規雇用は、組織責任の一部を継続的に担うことへの代償として、定期的な報酬と長期の労働環境を保証した制度のはずだ。
が、法的にも守られ過ぎた結果、『大きな失敗なく過ごせば、給料は出続ける。』と、解釈を間違われるケースが続出した。決まってお金が出る恩恵は、様々な人の苦労で積み立てられた結果であるとの感謝を忘れた人が、大きな割合を占めるようになった。
逆に、正規雇用を盾に日に陰に残業を強いる、悪質な社風や経営者も多々存在する。その意味でも、危険な側面を有しているから、責任と恩恵(権利)のバランスには、常々気を付けねばならい制度である。

私もまた、責任と権利のバランスを考えられなくなっていた。東日本大震災の年の暮れに正規雇用制度から離脱して以降、おかげさまで色々と考え動き、時間はかかりながらも様々な人・物事への感謝の気持ちが回復した。

正規雇用を受けたり提供している方はもちろん、正規雇用に憧れている方も、責任と権利のバランスについて考え直してほしい。

言葉を重ねるが、正規雇用を受けつつヒマしても楽してもいい。が、その分文句を言わないとか、有事の際には周囲を助ける心づもりを常にしておくとか、小さくても微々たることでいいから責任や義務を負うようにすれば、それでいいだろう。
イザという時の備えに、あえて社員や職員を遊ばせておくこともまた、正規雇用制度の長所なのだから。

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1/25「ケイゾクトーク#01 新しい社会の生き方」を開催

対話のルール「ケイゾクトーク」、公開開催の第一回をさせていただきます。話し手、聞き手、離れ手など、あらかじめ役回りを決めることで、話の流れをなめらかにしようという仕組みです。
話し手は、野津岳史さんです。野津さんは、リクナビや大学の機能などを使わない独自の就活で、学生時代の活動で縁があった団体「WorldSeed」に就職。現在に至るまで地域活性化や環境活動に従事されています。その経験を踏まえ、働き方や住まいなど別の視点での生き方についてお話しいただき、対話のテーマを提起いただきます。

日時◆◆
2018年 1月25日(木)19:00~21:00
※遅れてのお越し、早めのご退出も歓迎ですが、
話題への理解は各自でお願いいたします。

場所◆◆
エコネット近畿様事務所 会議室(お持ち込み飲食も可)
(最寄り・南森町駅、大阪天満宮駅)
http://www.econetkinki.org/page0108.html

参加費◆◆
500円(25歳未満 300円)
茶菓代等です。

定員◆◆
主催者を除き、全体で12名
ただし、40歳以上の方につきましては、話し手の年齢を考慮して、一定の人数枠を設けます。当初は2名までとし、参加人数によって最大4名まで増員の予定です。

お申込み◆◆
参加ご希望の方は、facebookイベントページで参加予定としていただくか、お問い合わせページから、種類”1/25イベント参加”にチェックを入れてご送信ください。メッセージや題名は空欄でも構いません。
当日参加も可能(23日15時現在)ですが、ご来場多数の場合は、あらかじめ参加表明をいただいている方のご着席を優先いたします。

対話のルール「ケイゾクトーク」の主旨や詳細について◆◆
以下ページからご覧ください。

keizoku-talk


表紙画像をクリックすると、PDFファイルが開きます。
事前にお読みいただくかどうかはご判断にお任せしますが、当会は「ケイゾクトーク」によって、対話の場が運営されますこと、予めご理解くださいますようお願い申し上げます。

クレジット◆◆
主催:ケイゾクエナジー(近藤大介)

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若者による自民支持増は当然?

他の世代に比べ、20代までの投票率が低いことと、投票しても自民党への支持が高いと聞きました。私は、むしろ自然なことかと思います。

若い方ほど、「産業革命以来の経済成長を継続を前提とした社会システム」の恩恵を受けたことがないでしょう。
これらのシステムは、先進国ほど終わりつつあります。例えば、正規(終身)雇用制度や生活保護・年金・国民皆保険など『政府や大企業による富の分配』は、立ち行かなくなってきたシステムの代表例。さらに、グローバルでもローカルでもない半端な『国民国家』思考や、代議制(democracy)の誤訳といえる『民主主義』もだってそうです。地元選出の議員への陳情より、”日本死ね”のようにネット経由のほうが意見が通ったりします。国内だけでなく、海外にも。
皮肉にも、システムの継続をうたっているのがどちらかといえば野党であり、たとえ極論や愚策であっても「現状打破」をうたっているのが自民党や維新の会などのように思われます。

ハッキリ言えば、自民が革新で、社民や共産が保守という逆転構造になった。
立憲民主がうけているのは、枝野代表への信頼感だけでなく、大臣など政権運営の経験がある人々が改革側かつ革新系を名乗っているという、構図のわかりやすさもあるでしょう。こうなれば、長年理想論を押し通してきた共産の支持が食われるもの当然かと。

シェアに個人間取引、法人格なきビジネスなどなど、政府や企業の仕組みを介さない動きがもっとあっていい。過去の思い出、いや成功体験にとりつかれた幻想で、終わりつつあるシステムを押し付けるのはやめましょう。違和感を持つ若者は、反論しなくとも穏健に無視し続けることでしょう。

変わらなければいけないのは、私を含めた昭和以前生まれの年長者です。
ご賛同あるいは疑問をお持ちの方は、10月21日14時からの『儲からなくともエコなビジネスを考える会#2』にお越しいただければ、なお幸いです。

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10/21 儲からなくともエコなビジネスを考える会#2

(お金が)儲からなくとも(他で儲かる)エコなビジネスを考える会。二回目を開催します。

日時:2017年10月21日(土)14:00~16:00
※途中入り・抜け歓迎です。
※16:00以降は、希望者で軽く飲むか食事に行く予定です。

場所:大阪府大阪市北区小松原町2-4 大阪富国生命ビル4階
「まちラボ」MIDORI365協会ラウンジ
リンク先図中のD”テラプロジェクト展示場”とある場所です。
※梅田各駅、JR大阪駅など、すべて徒歩圏内です。

内容(予定):
14:00~14:15
・事前説明(漫談?)「儲からない」とは・・・ケイゾクエナジー近藤より
14:15~14:30
・話題提供・・・木下英範さんよりプロジェクト案
14:30~
・プロジェクト案やその他の物事について、色々と対話・談笑

参加費:500円(30歳以下は300円、学生無料)

定員:10名程度(主催者・話題提供者を含む)

お申込み:
ケイゾクエナジーへのメッセージか、facebookイベントページでの参加ご表明をお願いします。お早目に、ご表明・お申込みくださればなお幸いです。

儲かるのは金銭以外のものでよい、住みよい未来になればいい、そんな思い付きや事業計画、企画案の類があれば、ざっくばらん・適当に話し合える場とします。さらに「何かやりたい」「何か力貸せるで」の声が上がれば、もっと嬉しいです。
まさに近藤が言い続けてきた、ケイゾクエナジーの根幹。社会解決は、小さくていいから民間でもやればいい。ともに育てましょう!とまで大げさなことは言いませんので、まず楽しみに来てやってください!

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Education≠教育

教育は、Educationの誤訳という。福沢諭吉は”発育”としたかったらしいが、もともと漢籍か何かにあった「教育」のほうが広まってしまった。勝手に育つのを支援すればいいのを勘違いして、西洋に追いつくためには「教えろ」となってしまったのが、近代日本の不幸だという学者もいる。
この百年の方向性を反省したのか、最近の文部科学省は、アクティブ・ラーニングと称して自ら学んでいく趣向を重視した教育指導要領を定めている。近藤個人としては、「何を今さら」との思いが強い。

とはいえ、私は恵まれていた。
職人の父には『本は読んでも損はせん』と、高度成長期の独身時代にひと儲けした以来集めている蔵書を提供され、読むか読まないかは自由とされた。母には「ウチはウチ、ヨソ(他所)はヨソ」としつつ、事務仕事の段取りなどサラリーマン的手ほどきというのか、見せつけを何度も受けていた。持ち帰りの残業も手伝わされた。
つまり、教えられずに育てられた。常がそんな感じだから、両親ともが、学校の成績など私を評価する基準から外しきっている。さすがに、某私立大学(いちおう世界の大学ランキングには出る程度の)に現役で入学した際は、母は大喜びしたものだが、戦略的に受験勉強できた礎は当の母にあったのだ。高校の内申点を無視して、センター試験を無視して、やる範囲を絞り込み、一日の勉強時間も2時間以内に制限できたからだ。セオリー以外の考えを持てたのは、まさに「ウチはウチ」思考のお陰である。

一方、多くの同世代たちは『大学に入って大企業なり官庁へ』の筋を基本に教え込まれていた。まだバブル崩壊も迎えていなかったあの頃の日本は、レールに乗る人生が間違いないと信じている人は圧倒的多数を占めていた。
いまの小学生は、いやわかる範囲で大学生あたりではどうだろう。やはり圧倒的ではなくとも大多数が『大学に入って・・・』を過信している気がする。もちろん、2~30年前に比べて、大卒未満の就職口が狭くなっている感は否めない。が、いっぽうで大学生が余っている(18歳人口が年々減っているのに大学生が増え続ける矛盾)事実もあるわけで、逆張りをする若者がもっといてもいいように思う。

正直にいうと私は、コンプレックスを持たない意味でも大学まで行かせてもらった。実に大したことがない人間である。恵まれているのに、いまだに家庭を持たない。クズ丸出しである。だからこそ、卒業後こそ知見を養う努力は続けているし、現役の学生たちと学力テストなり何なりで対抗する自信がある。結局のところ、今も私は勝手に育っている。そして教えられるのがいまだに苦手である。

若い世代の方に(いや年長者にも)、つい喋り過ぎてしまうことがある私だが、常に心掛けているのは「内容忘れてもらって良えで」のポジションだ。ほとんどの場合、相手が出すネタに関連する話をしている(古い付き合いの後輩からは「話題泥棒」と言われ続けている)のだが、それでもサッパリ忘れてもらっていい。

もし将来、子を持つなら、勝手に育つ環境をしっかり整備して、子の需要があれば教えるような立場でありたい。
「教育」には限界が付きまとう。自発に勝るものはない。

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大学では教えてくれない「ここだけの話」を聞ける場として

大学や高校では教えづらい事を学生たちに伝えることもまた、ケイゾクエナジーの使命です。

高校教員の方々に様々な制約があることは想像がつきやすいですが、一見自由にみえる大学教員の方々も違った形での制約があります。准教授よりも上の方になると、専攻分野の研究、学生への教育、そして大学運営と、大きく分けても2~3つほどの役目を兼ねねばなりません。専門化と忙しさの両方で、扱える知識の範囲は自然と絞られます。
また、ここ15年ほどはネットの発達などにより、多少の発言でも問題視されやすくなりました。ただでさえ少子化で学生数減を恐れる立場としては、表現方法にも縛りが入ってしまいます。文部科学省などによる目も厳しい。友人知人の大学教員の話と、近藤による想像の範囲だけでも、なかなか大変な職業だと、私・近藤は常に脱帽の思いです。
以上のような状況があるから、様々な体験の場を学生に!といわれても、大学教員が専攻外のことまで用意するのは難しいでしょう。確かに、産官学民の連携と言われる中で最も頭が固いのが大学教員とはよく聞きますが、立場じたいが固められてしまっている以上、全てのことを要求するのは酷かと思います。

いっぽうで、当ケイゾクエナジーは、制約がありません。文部科学省から認可を受けるわけでもなく、議決権をかざして圧力をかけてくる株主もいません。私立大学以上に純粋な民間の立場なので、「ここだけの話」はいくらでも出せます。
特に、就活などに直結する業界ウラ話や、社会人各位の苦労談の集積には自信があります。私・近藤が、自信の経験や東京時代から見聞している話(さすがに個人名は伏せながら)を交えて伝えることもできれば、知人友人の社会人自身を引っ張り出すことも可能です。

学生向けで抜粋してみると、関西に戻ってきてからだけでもこんなことをやってきました。

などなど。近藤個人の得意分野としては環境・エネルギー、IT分野、NPO活動が軸ですが、社会の仕組み全般の話も扱いますし、別の分野であっても各業界のプロを呼べます。特に下の二つは、プレゼン資料を整えており、要望があればいつでも展開が可能です。
いずれも、『そういえば、学生時代に得られんかったんな』と思い返した知識や経験談であり、最後のエネルギーの歴史に関しては現役の学生から勧められて開催したものです。

というわけで、学生のみなさん。大学生活や企業インターン以外で社会知識を得る場といえば、「ケイゾクエナジー」と覚えてやってください。日本一かどうかはわかりませんが、関西で5番目以内には使えると思います。たぶん。

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