既にある仕組みに馴れると、必ず衰えが来る

明けましておめでとうございます、ケイゾクエナジー、ぼちぼちやっていきます。
肩慣らしに、ある記事から、思いついたことを書いてみます。

新聞没落が顕著に!10年間で約1000万部が消える!電子化は?フジテレビも視聴率が最下位へ

日本の新聞。この10年で1000万部も発行数を落として、昨年には4212万部になったという。私からすれば当たり前というか、もう歴史の流れのようにみている。
報道一つとっても、官庁には記者クラブがあり、外国ニュースは通信社があるなど、はるか昔から仕組みが完成している。販売も各地の販売店や本社組織とは別の営業要員が動く仕組みになっているから、頼れるどころか、読者の声を直に受けなくてもいい状態だ。

新聞に限ったことではない。
何かの仕事をする時に、「必ずこの帳簿を使って」とか、「あの業者指定」と指示されるケースは多々あるだろう。が、固定した手順やメソッドへの依存は、中長期的には落とし穴だ。気がつけばその会社や組織独自の癖に染まってしまい、外部の変化についていけない要因にもなる。

私の業は、ケイゾクエナジーなら社会活動家、あるいはIT業界の一人であったりするわけだが、特に後者は行動変革を勧める立場になってしまう。
その際、既にある仕組みに慣れた方々と向き合わねばならない場面が、何度も生じてくる。

仕組みに慣れた方々に対して心がけていることは、ただ一点。無理強いしないことだ。勉強させない事だ。
いくらこちらが奮闘しようが、自発性がゼロではいくら掛け算しても効果は出ない。対価をもらいようもない。もちろん営業的に説得する方法もあるが、化けの皮が剥がれてからが大変だ。

それが、慣れているのではなく、何かの理由で「既にある仕組み」を守ろうとしている方だとわかれば、むしろ尊敬して助けたくなる。
要は、意思をもって昔ながら仕組みを続けているのなら良く、わからないうちに馴れている(あえて漢字を変えています)のなら、そっとしておくよりない。変わるのが怖いだけなら、なおさらそっとするよりなく、こちらが被害を受けずに済むのなら、いざこざが起こる前に退くのが得策だ。

おそらく、新聞やテレビの凋落は、憧れをもって入社した方々が、憧れに裏切られたくなくて、元の仕組みから離れられなくなったのかもしれません。ある種の、ただ”伝統を守る”みたいな心理的な作用もあるのでしょう。
もともと憧れを持つことが少なく、当の新聞記者経験に落ちた経験もある私としては、むしろこれで良かったのかもと思うようにしています。

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